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令和5年度 第1回活動「東日本大震災復興支援 震災の教訓を未来へ 4/22-23」~南三陸町・双葉町の今~

 

 2023年4月22日()・23日()、多くの皆さまのご支援・ご協力により、東日本大震災の継続支援活動として、「 福島県双葉町 」及び「 宮城県南三陸町 」の視察訪問を7名にて実施致しました。震災から12年が経過し、報道こそ少なくなってきましたが、実際に現地に足を運ぶと、いまだ復興の道なかばであることや、原発事故に伴う影響の甚大さを改めて実感いたしました。メンバーは、札場栄治様(特別顧問)、金子健様(顧問)、会田浩司様(介護福祉士)、古南直樹様(会社員)、福島、渡部、宮園の7名です。



【 双葉町役場ご訪問 】 

 当法人顧問 金子様のご子息が、震災後にバラ販売代金の一部を「福島県双葉町」に寄付する活動を継続されており、今年4月、双葉町町長から金子バラ園宛の御礼状をいただいたとのことです。今回は、顧問の金子様が双葉町を直接訪問し、農林大臣表彰を受けたバラのお花を贈呈しました。お忙しいところ、双葉町の戸籍税務課の係長様がご対応いただき、双葉町の復興状況などについて情報交換と、冊子「今しかない」(石楠花の会様発行)の寄贈をさせていただきました。係長様のお話しでは、双葉町は福島第一原発がある町で、避難指示は部分的に解除されたにも関わらず、住民は60名程しかいないとのことでした(元町民20名、行政職員20名、移住者20名)



【 東日本大震災・原子力災害伝承館 】

東日本大震災による複合災害の中でも、「原子力災害」に特化して、震災の記録と教訓・復興過程を後世に継承・発信していくことを目的に作られた記念館です。着の身着のままで長期にわたる避難を余儀なくされ、コミュニティ再建が難しくなっている現実や、子どもたちの悲痛なメッセージ、放射性物質による健康リスク、野生動物などによる民家の被害等を、大画面での映像や語り部による語り、写真、品物、手紙などの現物展示を通じて、視覚的にわかりやすく情報発信しておりました。今回は参加メンバーとともに、「伝承館」の視察を行い、当時の厳しい状況や、原発事故が生み出した過酷すぎる生活状況等を改めて実感する機会になりました。

 これらの教訓を今後活動の中で意識化し、活かしてゆけたらと思っております。伝承館は海岸から500m程の場所で、震災当時は、津波で浸水したエリアに立地しているとのことでした。屋上からは海や、建設中の復興記念公園・原発の放射性物質の中間貯蔵施設などを臨むことができましたが、原発事故による被害を含めた複合災害からの復興の難しさも強く感じる体験となりました。

 津波で流された子どもの「ランドセル」(写真左上)、長期避難で人がいない家に、猪や鹿などが侵入し、ふすまや食べ物をことごとく荒らされてしまった様子(写真右上)、今なお立ち入りが制限されている周辺地域(写真右下)




【 震災遺構「防災対策庁舎」の視察 ~震災の教訓を「未来」へ~

 南三陸町における東日本大震災の震災遺構として残されている「防災対策庁舎」を訪問し、当法人理事の福島氏のガイドにより、津波襲来時の動画を見ながら、震災当時この場所でどのようなことが起きたのかを、様々なエピソードをもとに、参加メンバーと共有しました。南三陸町の「防災対策庁舎」は海抜1.7m、海岸から約600mの地点に建つ鉄骨造3階建ての建物で、屋上にはチリ地震の際の2.4mの津波を教訓として、高さ12mの避難場所が作られていました。しかしながら、東日本大震災では想定を大きく超える、15.5mもの大津波が襲来し、屋上に避難していた方の多くが犠牲となってしまいました。


【 防災対策庁舎の悲劇 】

 震災の津波により骨組みだけになってしまった防災対策庁舎は、現在震災遺構として残されております。震災発生時、防災対策庁舎の2階は町の災害対策本部が設置され、地震発生の14:46から、津波が襲来する15:25頃まで、62回にわたり防災無線放送を通じて町民に避難を呼びかける放送を続けました。避難を呼びかける放送を続けたのは当時24歳の女性職員。当時入籍しており同年9月に挙式を控えていましたが、行政職員として自身の危険を顧みず、最後の最後まで住民に避難を呼びかける放送を続け、津波により殉職されたというお話を、震災遺構となった防災庁舎を前に、参加メンバーと共有しました。この女性職員の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、埼玉県の公立学校において道徳の教材に掲載されています。

 当時、防災対策庁舎の屋上には53名もの職員等が避難していましたが、町長ら10名が生還したほかは、犠牲となってしまいました。

 東日本大震災が発生してから12年が経過しましたが、今回訪問させていたいた被災地の中でも、復興の度合いに、驚くほど大きなギャップがあることを、現場を見る中で改めて実感いたしました。

 原発事故を含む複合災害に見舞われた「福島県双葉町」は、人の存在すらほとんど感じられず、誰もいない病院や特別養護老人ホームなどの建物だけが並んでおりました。また、日本三景がある「宮城県松島海岸」では、津波がきたということが感じられないほど元通りに復旧しており、外国人を含む多くの観光客で賑わっておりました。同じ12年が経過した状況でも、こんなにも違いが生じていることに改めて驚くとともに、被災された地域それぞれが、今なお真の復興の実現に向けた経過点を歩んでいることを実感する機会となりました。 ご協力いただいた皆さま、活動にご参加下さった皆様に改めて御礼申し上げます。

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